heroのお腹ゆるゆるブログ

潰瘍性大腸炎を持病に持つheroが日々感じている事を書きます。

他人を傷つけ、自分が傷つく

heroです。

 

ちょっとタイムリーではないですが、不倫問題(○ッキー)をとりあげるニュースを受けて思う事。
いやこのニュースに限らず常々思うことがあります。
とにかく批判がひどい。ひどすぎる。
何がひどいかという事とそれに対する私の考えは最後に伝えさせてもらいたいのですが、まず前提として、

私は、一方が悪いと判断はしませんでした。
というより、第三者がそんなことまず言う資格というか、権利なんてないと思っています。
女性の方が謹慎状態で、男性の方は活動を続けて不平等とか関係ないと思ってます。
お互い自分の意志で、交際し、それが不倫だった。公になって女性は謝罪した。
それは、事務所の意向かもしれないけど、問題はそんなところではないと思う。
芸能人だから、一人の大人だからと言うつもりも毛頭ない。
おそらく、今回の件で二人ともそれなりの芸能活動に支障をきたし、また関係者には騒動に対する謝罪はしたと思う。それでも、今まで通りには戻らないし、戻す為には今まで以上の努力が必要になるのは目に見えている。
因果応報であるといえばそれまでだが、その戻す作業の時点で償いというか、報いは十分に受けるのです。
だから、私からは、あえてどっちが悪いとか、そんなことを言わなくとも彼らは十分に苦しみ、また今後も大変な道を通らないといけないと思うから、何もいう必要なんてないと思ってます。

ですが、世間はネットで匿名性があることをいい事に、結構ひどい事いいますよね。

何度もいいますが、やった事は悪い事、それは間違いないと思うですが、他人が必要以上に誹謗中傷するのは、どういう意図なんだろうと常々思います。
別にネットで叩かなくても、悪い事したらそれなりの罰は受けるんです。
つまり、やってることは、いじめに近いと思ってしまいます。
ネットで叩くことを日常化してしまった人は、何を思って叩いているのだろうか。。。
私の小さな脳みそで考えられることとして、単純にストレス解消なのかなっと思ってしまう。
きっと仕事とかうまくいかなかったり、色々うまくいかないとどこかではけ口が必要になってきて、ネットならばれずに好き放題言えるから。
そんな感じなんでしょうかね。。。 もちろん人の数だけ理由はあると思うのですが。

そんな事いう私も結構批判人間でした。
他人に対しても自分に対しても批判していました。

でも、今は少しだけ、本当に少しだけ緩和されました。
これは私の経験則でしかありませんので、意味不明な事言ってると思われるかもしれませんが、
タイトル通り他人を傷つけ、自分が傷つく事を知ったのが私の考えを変えるきっかけになりました。

昔というか一年前までは、人の生き方、考え方に対して、あなたは間違っていると関節的に人に言っていました。

 

一つ例を挙げますと、私の友人が福島のボランティアに行った事を話した時です。
当時の私は、軽々しくボランティアになんかいったら、逆に被災者の人にとって良くないと思ってました。
だって、ボランティアに行く人は被災していないし、ボランティアをせいぜい1週間もしたら、もとの自分の住みやすい街に戻るんです。
もし私が被災者だとしたら、なんだお前らって気持ちになりそうな気がしたから。

(因みに友人にこれに近いことも言ってしまいました。。。)


何より、一番嫌だなと思ったのが、行ったら被害の甚大さに恐怖を感じ、日常の大切さを実感すると思う事。
つまり、私の中では、ボランティアに行く=日々の大切さを実感するため。つまり自分の為なのではないかと思っていました。
これは、福島に限らず言えますが、例えばインドに行って、貧しい人をみて、今を大切にしようって思う感じ。
なんというか、当たり前な感情だと思うのですが、やってることは結局人の不幸を見て、自分を改めてるんだなって思うと、すごく嫌な人間に見えてくる。

当時の私は福島にボランティアに行くならば、本当に純粋に利害関係なく行くべきと思ってました。
それは、例えば、就職のネタになるとか、そういう物理的な話から、心理的な、つまり、今の何不自由ない生活を幸せと思うために、とか、そういった事もなく、行くべきと思ってました。
でも、今はそう思いません。いや、例え少し思ったとしても、それも肯定します。

理由はどうであれ、私の友人は現地に行ってボランティアをした。 私は何もせず被災者の気持ちがどうとか(会ったこともないのに)勝手に思い込んだ。

私は何もしていないんですよね。批判してさも自分は正しいみたいな事を言いたかっただけです。本当は、放射能とかが怖くて端から見てることしかできなかった。

どっちが被災者の為になったかなんて言うまでもないです。

 

自分のとても狭い考えで生きている内は気づけなかったんです。
ですが、仕事でどうしようもない事があったり、病気で苦しんだり、そんなうちに、今の自分(の考え)では、生きていけない事に気づいたのです。

特に病気が発症したとき、ただただ話を聞いてくれた友人や家族には本当に救われました。


結局人を否定したり、傷つける事は、自分に返ってくるんです。
それは、神様が見ているとかそういう話ではなく、人を否定すると、否定した分だけ自分の枷になります。 人を否定する=そういう人(人格)はダメ=自分はそういう人になってはいけないとなるわけです。実際否定した人の背景なんて全然みていなかったりするのに、結果だけをみて否定しているんですよね。そしてなんの根拠もない理屈で自分が正しいと思い込んでしまう。 でも蓋を開けてみると、自分の精神的未熟さを理屈っぽく述べているだけだった。


何をやるにも、こうでなきゃいけない、こうあるべき、こうなったら失敗等と思ってしまうのは、向上心とかまじめだからとかそんなものではない。そうしないと、自分の精神的安定が保てない(未熟な精神)だけだと気づきました。そして、
それに疲れてしまった私は、自分に優しくなるために、人の考え方や意見をとりあえず肯定する!!!事にしたのです。(全てではなく、取捨選択はしますが)

 

人の批判をする事で、自分の思考が固執して、実は実生活の色々な場面で、

支障をきたしているのではないかとheroは思うわけです。